大切な忘れ物

母が亡くなって70日が過ぎた。
母の四十九日の法要までの間、母がどんな姿でどんな笑顔でどんな生活をしていたのかという事を思い出していた。
母が私にどんな風に接していたのか、少ない思い出を引っ張り出していた。
兄弟で思い出を話す中で、兄弟に対してどんなだったのか、新たに知ったこともあった。
母が脳裏に浮かぶ・・・映像のような思い出だ。

ところが、いつの間にか母を思い出す感覚が違くなり、思う気持ちに変化があった。
母を失って初めて、あの時はどんな思いだったんだろうか、何を見て何を感じてどう対応したんだろう、母の気持ち・思いを聞いておきたかったな~と思う。


亡くなる前は、痴呆で話などできないことは分かっていたのに、そういう思いはしなかった。
同じ地続き?同じ空間に生きていて、何時でも分かりあえるような気がしてたんだろう。
今頃になって、何故、たくさんのことを語り合ってこなかったんだろうと悔やまれる。

今となっては聞くことすらできないのに・・・・母は、何を思い、何を目当てに、何を感じて生きていたんだろう。

自分の築いてきた価値観に間違いが有ったように思う。 悲しくなるくらいに思う。

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いったい私は何を大切に生きてきたんだろう。

良くない頭で、どうやってこの世の中で生きていくか、少しでも世の中について行かなければなどと考えていたんじゃないか・・・

生き抜くこと、自分を生き抜くことばかり考えてきた。
何をして生きていくか、人並みの生活を営むために何をしたらいいのか、どうやって子どもを育てていけばいいのか・・・

自分を思い、家族を思い、一生懸命生きてきたが、それだけでは不足だった。
追い求めてきたものは、確かに必要なことだし、やらなければならないことばかりだけれど、何かを忘れてきた。

家族に対して、人に対して理解が不足していた。
人が何をやったかばかりに目を向けていた。

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足りなかったこと・・・・それは、人が何を見て、何を感じて、何をやって、どんな思いでいたのか・・・そういう心の動き、思いにまで考えが及ばなかった。

「心・気持ち・思い」を忘れていたような気がする。

まったく未熟な人間だった。 これからも未熟のままかもしれないが・・・
もったいないことをしてきた。 随分と的外れなことをしてきた。

大きな忘れ物をした様な気がする。

人とのつながりは、その人が何を思ってどうしたのかが大事なんだ。
今頃になって、そんなことを思う。

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後悔先に立たずで、少々あせりのようなものを感じているけれど、「伊豆の風」を手段に思いを伝えたいと思った。

「私が何を感じ、考え、何をしたか」を伝えたいと思った。

平凡な何もない人生かもしれないが、人の親になったんだから、世の中の片隅で生きる親として、「思い」を伝えたいと思った。

今頃になって、「ああ、母はきっと、今の私の思いと同じだったんだ」とか「きっと、こんな風に思ったに違いない」と思う、その気持ちを残しておきたいと思った。

用事でもない便りをもらっても困るかも知れない。
子どもにとっては重荷になるかもしれない。

何時まで経っても子離れしない親と思われるのだろう。

それはそれでいい。
読もうが読むまいが、どっちでもいいのだ。もの好きだな~と思われてもいい。

こんなことをやっていたな~何を思ったんだろうね~と思った時に、少しでも振り返ってくれたらそれでいい。

大事なことは、「思い」を伝えることだ。

できうれば、思いを伝えあいたいものだと思う。
何が有ったかではなくて、「何を思ったか」を伝えあいうことが大事だと思う。


私も少しは価値観を変えて、人の「思い」に思いを及ばせて物事を見て行こうと思う。

まだまだ未熟者・・・・これからも人が生きる上で大事なものが何なのか見極めながら、確かに歩みたいものだと思う。









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