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母が亡くなって、通夜、葬儀を済ませ・・・ 四十九日まで、七日毎にお経をあげ母を極楽浄土まで送りだした。 仏教のなんたるも知らぬ私たちが、住職の言葉に支えられて毎週毎週お経をあげて送りだした。 毎週のお経は、最初の3週は父が入院中のことで、一番お経をあげたかった父は不在のままで行った。 身内の誰もが働いている訳で、夕方住職に来てもらって祭壇の前でお経をあげた。 家に居る人が居ない訳で、仏様は一人留守番をする形だ・・・何とも情けなかったろう・・・ だからこそだったのかもしれない、子供である我々は、都合をつけるのに一生懸命だった。 家であげるお経は6回、一人欠けることはあっても極力集まった。 一か月の余、毎週お経をあげるとなると、結構大変だった。 住職が「私も修行だと思ってやりますから」と言った意味が少しわかった。 何故なら、住職は相当忙しいらしく、京都に行ったとか通夜が有ったとか、帰るに帰ってこれなかったと言って、2回ほど遅刻をした。 我々は、お経をあげてもらうと言う目的のために集まっている訳で、じっと待っていたが・・・・ 住職も遅刻しながらも必ず来てくれた。 本当にありがたいことだ。 最初は、葬儀の余韻が残って、気持ちがざわざわしていた。 毎回、兄弟で母のことを語り、お経の後、住職から短い説法があった。 それがまた、身にしみるように伝わってくる。 四苦八苦の話・・・ お寺でのエピソード 先祖供養の大切さ、人生との関係・・・等々 毎週のお経と説法で、自分たちの気持ちも平静になってきて、いつもの時間になっていくのが分かる。 母の面影も少しずつ天上へと上がっていくようで、母の亡くなったことを悲しむと言うより人間の一生、人生を思うようになった。 また、話も日常の話し、夢の話しになっていった。 その間、四十九日の段取りを整え、安泰を出し、会食会の予約と人数確認し、香典返しの手配もした。 環境が落ち着くまでは、中々忙しいことが分かった。 葬儀を済ませて、しばらくたってからの香典もあったり対応が大変だった。 そして、四十九日を迎える。 もう感情の波風は立たない。落ち着いて法要を済ませるだけになっていた。 お経を法要が済み、住職からのお話は、今日一日一日を一生懸命生きることだと言うお話だった。 東日本大震災の被災地にも足を運び、その惨状を目の当たりにして、命の大切さ、命をつなぐと言うことなどを話してくれた。 なんだか、涙が出た。 納骨のころには寒く風も強くて・・・・あらら・・・という感じでちょっと残念なような、いや別れを惜しんでいるのか、わざと吹きつけてきたのかしらと思わせた。 納骨が済むころになると、風も止んで穏やかな感じになって、無事納骨がすんだ。 移動し会食となった。 会食には住職も来てもらい、案内を送った親戚も全員来てもらえた。 2時間くらいだろうか、料理を楽しんでもらい、お礼の品を手渡すこともできた。 忙しい年末、母の四十九日のために時間を費やしてもらい、ありがたいことだ。 これで、母は無事浄土へ旅だったと言うことになる。 ご先祖様になってしまいました。 |
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