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ドイツから姉が帰ってきた。 母の四十九日の法要には参列したいからと、日本での休暇を早めて帰ってきた。 姉の仕事を、よく理解できていないが、カウンセリングと治療をする。 その神髄は私には良く分からない。 でも、様々な状況を話すたびに、ハッとするような答えがかえってくる。 物事の根本、人の気持ちの複雑さ 何でも言い当ててしまうような気がする。 凡人の私も娘も、過去の出来事、言葉、いきさつにとらわれて悩んだり苦しんだりする。 「あなたは、何をしたいの、どうなりたいの?」という問いは、厳しいものに聞こえる。 何もかもを他人のせいにしている自分がいたり、できもしないものを求めていたり・・・・ 孤独や寂しさが心を痛めること、求めてはいけない所に答えを求めていたこと・・・ もっと自分に向き合って、自分を幸せにしてやっていいんだという。 自分の気持ちを発信することが大事だけれど、それを分かってほしいと人に求めてはいけない。 それは、他人の田んぼにずけずけと入り込んでいることだという。 苦しみは人の田んぼに入り込むことから始まるらしい。 心を病んでいる人は、自分と真正面に向き合っていないことが多いそうだ。 何時までも、ものごとを人のせいにして、「あの時、私を愛してくれなかった・・・」と随分大人になっているのに、悩み続ける。 囚われている自分が、自分を苦しめる。 たった一度の自分の人生なのに・・・何時まで悩み続けるの? 心がとらわれているから苦しくなるのだ。 自分の心に向き合って、自分が囚われている物を探り、捨て去る・・・そのことに気づくことが大事。 何時までも幸せな気持ちになれない孤独の心は、求めても求めてもえられないものを相手に求めているからだ。 自分の気もちは伝え、それをどう受け止めるかは相手の問題、心病むことはないのだ。 自分は自分で幸せになればいいのだ。 とらわれないで自分の穏やかない心を取り戻してやればいい。 自分だけで幸せになってもいいんだ! 自分は自分で幸せになっていいのだ。 ちょっとびっくりしたが、私の幸せと相手の幸せは違う。 一致して「しあわせと思わないといけない」と思いこんで、得られず、何時までも求め続けていたような気がする。 こういう考え方は、夫でも子どもでも他人でも当てはまる。 自分からの発信をどう受け止めるかは相手の問題、そのことで思い悩むことはないのだ。 受け止めた気持ちをそのまま、「そう受け止めたんだ」と理解すればいいんのだ。 私が思い悩むことだはないのだ。 「どうして分かってくれないの?」なんて、もう悩むのは止そう。 私は私で幸せになる。 http://www.oasis-des-lebens.de/ |
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